はじめに

保元の乱により讃岐へ配流となった崇徳院(本書では以下、主に「崇徳上皇」「上皇」と著す。)の御遷幸先について、軍記物語の『保元物語』諸本や『平家物語』異本には直島、「綾高遠の松山の堂」、鼓岡、志度などと記され、『白峯寺縁起』では「高遠が御堂」から「鼓岳の御堂」に遷られたとしている。一方、現在の通説では概ね、最初は綾高遠の屋敷に入り、間もなく長命寺に遷り3年を過ごされ、後に国府庁横の鼓岡に遷られたということになっている。
地元には他に、初めの頃の行在所として平山(坂出御供所)浦の「真光寺屋敷」説、崩御されるまで幽閉されていた場所としては「崇徳天皇社」(「明(あかり)の宮」)として後に祀られたところであるという言い伝えが残っている。現在の通説の根拠にはいくつかの疑問点があり、通説になっているからといっても必ずしも事実関係が正しいとされている訳ではない。このため、地元伝承、歴史事実、古書等の比較や出来事の分析を行って、配流地検証の先行研究と言える故三木豊樹氏による調査内容も参照しながら再検証に取り組み、これによって得られた一説を掲載しています。
             

                             北山本新庄研究室

このサイトの掲載内容は、非売図書『崇徳上皇 讃岐配流地の真相』(2019年3月発行:㈱美巧社)の内容を、著作者権限に基づいて概ね再現して掲載しました。(一部内容の訂正・追加等による再構成やブログ追加等の変更があります)。図書は、香川県立、高松市立、丸亀市立、坂出市立の各図書館にて貸出又は閲覧が可能です。
なお、本(非売図書)の配布用在庫はなく、増刷予定は現在のところありません。

*図書本文中の正誤訂正のお知らせ
  本文中「高屋神社」(誤) ⇨ 高家神社(正) (本サイト内は訂正済)