はじめに

保元の乱により讃岐へ配流となった崇徳院(本書では以下、主に「崇徳上皇」「上皇」と記す。)の御遷幸先について、軍記物語の『保元物語』諸本や『平家物語』異本には直島、「綾高遠の松山の堂」、鼓岡、志度などと記され、『白峯寺縁起』では「高遠が御堂」から「鼓岳の御堂」に遷られたとしている。一方、明治以降に作られた「通説」では概ね、最初は綾高遠の屋敷に入り、間もなく長命寺に遷り3年を過ごされ、後に国府庁横の鼓岡に遷られたとしている。
地元には他に、初めの頃の行在所として平山(坂出御供所)浦の「真光寺屋敷」であり、崩御されるまで幽閉されていた場所は、のちに「崇徳天皇社」(「明(あかり)の宮」)として祀られたところであるという言い伝えが残っている。
明治以降の「通説」の根拠にはいくつかの疑問点が指摘され、必ずしも事実関係が正しいと認められている訳ではない。
このため、地元伝承、歴史事実、古書等の分析を行って、配流地検証の先行研究と言える故三木豊樹氏による調査内容も参照しながら再検証に取り組んで行くことにした。
             

                             北山本新庄研究室

歴史と地勢の多面的な分析から得た結論は・・
崇徳上皇が讃岐で幽閉された場所は、明治以降の通説「鼓岡」ではなく、『白峯寺縁起』に「鼓岳」と記された白峰宮と天皇寺(高照院)のある所でした。九条兼実の日記『玉葉』等からこのことが判明しました。

軍記物語の推測に過ぎなかった「鼓岡」は、明治時代にこれを事実化しようとする活発な運動によって「通説」に位置付けされてしまい、多くの人の認識を誤らせることになってしまったようです。

You Tubeでは「崇徳上皇讃岐チャンネル」で、この本のポイント解説を公開しています。(本書の主旨と概ね同じですが一部修正箇所があります)

 

 

このサイトの内容は、同じ書名の初版本を新たに「増補改訂版」として、図書館(国立・香川県立・高松・坂出・丸亀・宇多津)で閲覧若しくは貸し出しています。
 初版本(2019年3月1日発行)を開架から除けた図書館もあるようですが、増補改訂版は「崇徳上皇讃岐配流地の真相 増補改訂版」で発行日は2025年2月14日です。

*初版図書(2019年3月1日発行)本文中の誤訂正のお知らせ「 高屋神社 」(誤) ⇨ 「高家神社 」 (正) (本サイト及び増補改訂版では訂正済)*その他訂正や更新等がある場合は作業の終わったものから順次公開しています。