崇徳上皇崩御の日
上皇が「柳田」の地で凶刃に倒れられた長寛2年8月26日は、現代の暦では9月14日にあたります。暗殺は、京の指令によって京から来た刺客によって実行されました。 地元の口伝では、「上皇は国府における「鼓の宴」に招かれて八十場の幽閉地から向かった。その夜の帰り、暗殺者に刀で切られた」とされています。
讃岐国庁とは事前に謀ったうえで実行され、暗殺を隠ぺいするために、暗殺の当夜に白峰山に御遺体を運び荼毘に付し、八十場の野澤井では殯儀式とお住いだった御所では法要が行われました。
こうして、京の貴族社会には暗殺が秘匿されたと考えられます。
(2019/9/14の記事を2024/12/15に訂正して掲載しました)