衛士坊の坂

天皇寺高照院の東側石垣土塀 に沿って、北に向かって下の県道33号の方へ下がる百五十メートルあまりの坂道は、古来より「衛士坊(えじぼう)坂」(衛士坊の坂)と言い伝わっています。坂の上にある天皇寺高照院(江戸時代までは「摩尼珠院」)の場所には、この地に幽閉した崇徳上皇を監視する衛士の詰所(坊)があったと地元で伝承されています。「摩尼珠院由来」にはそのことを「衛士坊天皇遷行の時、供奉の衛士居住の地なり、因って命名す」と、由来を明らかにしています。
ここに「坂」の名が付いて言い伝わっていることは、この上に「坂」の目的地があり人が移動していたことを表しています。則ち、「衛士坊」は崇徳上皇の御座所を監視するため衛士の駐在場所のことで、衛士が五年余に亘って通った道が「衛士坊坂」の地名になって後世に伝わったことがわかります。

都で作られた「保元物語」で上皇幽閉地とされた「鼓岡」は、はるか遠い都の地で確認されないまま書かれた創作であったことがこれにより明確になっているのです。
上皇がここに遷されたのは讃岐配流からおよそ三年が経過していた平治の乱の頃、京の命令に依り「讃岐のさとの海士庄」からこの地に幽閉されたと考えられます。

動画(下)補足:衛士坊坂の下県道33号線側のJR踏切を越えた所から、天皇寺の入口前まで徒歩で登ってみます。途中、十字路の南西角には「摩尼珠院」の立岩(江戸時代)があります。

   ☝  画像クリック・タップで You Tube にリンク

2020年03月06日