保元の乱により讃岐へ配流となった崇徳院(本書では以下、主に「崇徳上皇」「上皇」と記す。)の御遷幸先について、軍記物語の『保元物語』諸本や『平家物語』異本には直島、「綾高遠の松山の堂」、鼓岡、志度などと記され、『白峯寺縁起』では「高遠が御堂」から「鼓岳の御堂」に遷られたとしている。一方、明治以降に作られた「通説」では概ね、最初は綾高遠の屋敷に入り、間もなく長命寺に遷り3年を過ごされ、後に国府庁横の鼓岡に遷られたとしている。
地元には他に、初めの頃の行在所として平山(坂出御供所)浦の「真光寺屋敷」であり、崩御されるまで幽閉されていた場所は、のちに「崇徳天皇社」(「明(あかり)の宮」)として祀られたところであるという言い伝えが残っている。
明治以降の「通説」の根拠にはいくつかの疑問点が指摘され、必ずしも事実関係が正しいと認められている訳ではない。
このため、地元伝承、歴史事実、古書等の分析を行って、配流地検証の先行研究と言える故三木豊樹氏による調査内容も参照しながら再検証に取り組んで行くことにした。
北山本新庄研究室
歴史と地勢の多面的な分析から得た結論は・・
崇徳上皇が讃岐で幽閉された場所は、明治以降の通説「鼓岡」ではなく、『白峯寺縁起』に「鼓岳」と記された白峰宮と天皇寺(高照院)のある所でした。九条兼実の日記『玉葉』等からこのことが判明しました。
(冒頭に結論を記します)
『玉葉』には建久2年閏12月27日の条には、この日決定した沙汰として、讃岐国の崇徳院御影堂の所領に官符を給うことと、長門国に一堂を立てるべきと宣下することが決まったことが記されている。つまり、崇徳院の御影堂はこの時点で既に建立され菩提を弔われていた、他方、安徳天皇の菩提を弔うお堂はまだ建立されたなかったことがわかる。
ところが崇徳院配流先の讃岐では明治の神仏判然令の後、明治10年に鼓岡神社が建てられ、神社由緒では、そこに崇徳院が住まわれて御所があったが、建久二年閏十二月の宣下に従ってその御所が白峯に遷されたのでその跡地(鼓岡)が祀られたと説明し、その根拠は前記の宣下にあると明治時代に説明して、この説を流布させてきた。
冒頭に説明したようにこの時の宣下には崇徳院のための「堂」の建立を命じる内容はなく、この沙汰を決定するまでに公卿間で行われた宣下内容の検討段階で話された「堂を建てるべき」という意見の部分や、最初に後白河院が堂を建立すべきだという沙汰を発案した部分を切り取って鼓岡行在所の根拠に利用していたのが明治時代に作られた鼓岡神社由緒である。
しかし、鼓岡に行在所があったかどうかを判断する重要な箇所は、沙汰決定までに行われた評定と決定された沙汰の内容にある。即ち、一部の公卿から讃岐には既に「堂」が建てられているようなので詳しく調べた方がよいという提案を得て、それを検証した結果、沙汰には崇徳院の御堂建立の内容が含まれなかった。つまり崇徳院の御堂はすでにあったことが判明している。それにもかかわらず、宣下の発案や評定の一部を都合よく切り取って、かつ最終的に決まった沙汰の内容を無視して、この沙汰に依って崇徳院の御所が白峯に遷され、その跡地が弔われて鼓岡神社に繋がっている、と創作されている。
他方、『白峯寺縁起』には、崇徳院郷御後にお住まいだった御所は速やかに白峯に遷されて菩提を弔う「頓証寺」として建立されたと記され、また『白峰宮御由緒書』では、上皇崩御後速やかにお住まいの場所に社殿が建てられ後に後嵯峨天皇が社殿を再建したことが記されている。このことから、一次資料『玉葉』に反し、かつ『玉葉』の裏付けとなる『白峯寺縁起』とも整合していない鼓岡行在所説に繋がる説明や鼓岡神社由緒書は創作されたものであって事実と異なる。
また、この地の領主が鼓岡を全く顕彰してこなかったこと等の歴史事実も状況証拠と成立し得る。このように、明治時代になってから鼓岡神社が顕彰され始めたのは、歴史事実に基づいていないと断定できる。おそらく、鼓岡は古代の国府庁跡に隣接していることからそれらを利用して地域振興を図ろうとした目的があったのではないだろうか。他にも鼓岡説を正当化しようとした様々な言い換えや工作・創作が行われた形跡があるが、地元の人達や子供たちにも誤った教育が行われ、地元の皆さんの多くの労力や寄付金が使われ、行政もそれに沿うなどして事実が歪められてきた。明治から昭和初期に行われて今もその影響が残る鼓岡通説化は、歴史に対してどう対峙すべきか多くの教訓を与えている。
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